あの現場へ

今回関西に寄り道したのは、関西在住のid:nh90さんやid:yonagoofjoytoyとオフ会を行うためでもあったが、僕にはもう一つの目的があった。今年4月25日に発生した尼崎事故の現場・尼崎−塚口間を、一人の鉄道愛好家として、そして岡山在住時代からJR西日本のサービスを享受してきた者として、実際に乗車しておかねばならないと思ったからである。はてな鉄道ファン同盟のsosnaさん(id:sosna:20050804)はブログで以下のように言及されている。


もちろん事故の現場自体を見ることはできないだろうが、この事故については私もいろいろ思うところがある。その場所を実際に走ってみないことには、何を言っても説得力に欠ける。あの出来事はいったい何だったのか、改めて考えてみたい。
そう、現場を実際に通過してみないことには、何を言っても始まらないからだ。
新大阪で在来線に乗り換えると、ちょうど8:41発、JR宝塚線直通・新三田行の201系各駅停車(1133C)が入線してきた。これに乗ってJR宝塚線に入ってもよいのだが、あえて尼崎で下車。後続の207系の快速・新三田行(5411M)に乗り換えた。201系から207系に乗り換えた理由は、いまさら言うまでもないだろう。
尼崎を発車した207系快速は右にカーブしたトラス橋をゆっくりと渡ってJR神戸線を乗り越し、北上する。しばらく直線が続いた後、事故が起きたカーブに差し掛かる。事故前、このカーブは70km/h制限であったが、事故後は60km/hに引き下げられている*1。右手には脱線した電車が激突したマンションが見える。このとき、言葉では言い様のない、体中がものすごい緊張感に襲われた。カーブを通過中、黙祷を捧げた。他にもファンと思しき方が黙祷を捧げているのを見た。
伊丹に到着し下車した。折り返しも207系の快速・同志社前行(5422M)に乗車。伊丹を発車してから95km/hまで速度が上がる。塚口を通過中、運転士が慎重にブレーキを扱い、95km/hから60km/hへ減速しているのが印象的だった。

*1:尼崎−宝塚間の最高速度も事故前の120km/hから95km/hへ抑制されている。