JR東海のプレスリリースにて、東京-大垣間の臨時快速「ムーンライトながら」について運行を終了することが発表されました。
https://jr-central.co.jp/news/release/_pdf/000040932.pdf
▲373系「ムーンライトながら」(1998年8月、名古屋にて撮影)
「ムーンライトながら」(以後、「ながら」)は1996年3月のダイヤ改正で登場した列車であり、当初はこの画像の通り、JR東海の373系により東京-大垣間毎日運転の定期列車でした。2009年3月のダイヤ改正で臨時列車化され、以降は車両の受け持ちがJR東日本に移り、183・189系を経て185系で運転されていました。
さらに「ながら」の前身は、同区間を165系で運転されていた普通列車、通称「大垣夜行」で、「青春18きっぷ」を使うと時間を有効に使って移動できるので、同きっぷとは切っても切れない関係の列車でした。始発駅時点で全車指定席の「ながら」と異なり大垣夜行は自由席であり、青春18きっぷシーズンには列車に乗り切れない客を救済するために続行で臨時列車(「救済臨」と呼ばれた)が運転されるほどでした。
その大垣夜行に替わって「ながら」が登場した1996年春は、青春18きっぷが従前の1日券5枚セットから現行の1枚のきっぷで5日間有効の様式に変わり*1、自由席だった大垣夜行に対し「ながら」は指定券の確保が必要となったこともあり、鉄道ファンにとってはショッキングな出来事が立て続けに発生した時期でした。
筆者は大垣夜行に乗ったことはありませんでしたが、「ながら」化後も残った救済臨であれば1998年夏に1度だけ乗ったことがありました。当時は名古屋へ行っていて、宿代を浮かすために大垣から静岡まで乗って、静岡で大垣行きに乗って名古屋へ戻るという「救済臨返し」をしましたっけ。
「ながら」に初めて乗ったのはサークルの合宿旅行で東京に行った1999年夏でした。これ以降、青春18きっぷで東京方面へ旅行する機会が増え「ながら」に乗る機会も増えていきます。
2004年に就職で東京へ住むことになり、岡山への帰省、あるいは名古屋や関西へ旅行する際に「ながら」はよく使いました。名古屋へは朝6時過ぎに着きましたし、大垣から列車を乗り継いで米原から新快速に乗り換えると大阪へは9時過ぎに着きましたのでね。何より18きっぷシーズン以外の時期でも新幹線を使うより旅費を節約できるのが大きかったです。この時から下り列車(大垣行き)に乗る機会は多いものの、上り列車(東京行き)に乗る機会は皆無だったと記憶しています。東京への戻りは新幹線でしたからね。
2003年からは救済臨も「ムーンライトながら91・92号」として運転されるようになり、定期列車、臨時列車双方とも乗車には指定券の確保が必要となります。救済臨の時代から下りは大垣着が定期列車より1時間ほど早かったので、青春18きっぷの時期はあえて91号に乗ることも多かったです。2009年の「ながら」臨時化後は停車駅を整理した上で91・92号のダイヤをほぼ踏襲して運転されるようになります。
2011年に東京から引き上げてからもコミケなどで東京に行く機会はあるものの、移動手段はもっぱら新幹線で「ながら」とは無縁になってしまいました。373系には「ラブライブ!サンシャイン!!」絡みで沼津へ行くようになってから乗る機会ができましたけれども。
時代の流れと言ってしまえばそれまでですが、東海道本線伝統の夜行列車が消えるのは寂しいものです。
*1:つまり1枚ずつ分けることができなくなり、複数人で行動する場合は同一行程でなければならない